粒をみる

頭の中のことはここに

オンラインの世界のはなし

最近ずっとオンラインで繋がることやコミュニケーションをとることについて考えている。

(前回に引き続き。)

 

前回、インスタの一枚目の画像がわかりやすくあることの気づきを書いたのだけど、

さらにそこから気がついたことがぼんやりとある。

 

何の投稿なのかが一目でわかるということは

(文字メイン、写真のみ、どちらの投稿でも)

「開かれている状態」だと思った。

知らない者の私でも自由に見たりコメントしたりしていい投稿なんだな、という認識になる。

ひろくいろんな人に。

 

反対になんのことだろう?という投稿は

知り合いだけに向けている投稿なのかな?

と、覗き見てしまったなあ。という気持ちになる。常連さんしか入れないお店みたい。

でもバチっと共感できる内容だとしたら一気に距離は縮まるかんじ。狭く深く。

 

という発見。

 

その人のインスタの使い方にもよるのでどっちが良いとかではない。アカウントの目的に合わせて使い分けてみたいなと思った。

 

それと、よくあるジャンルを絞るとか

有益な情報をっていうのも

最初に見聞きしたときはうぎゃー!って思ったけれど、そもそも顔の見えないこの世界では、姿形を表すためにその手法がとられているのかなって思った。

 

やっぱり何の投稿をする人かぱっと見で

わからないと

顔が見えない分、はじめは少し「こわい」印象にどうしてもなってしまう。

何かのきっかけがあればその警戒心は解けるけれど。

 

有益な情報っていうのも、人間性がわからないのだからきっかけとしてどうしても必要になるのだろうな。

 

姿形がない分、リアルの世界とはまたちがう方法があるのだなぁ。そう、住んでる星が違うかんじ。

 

そんなことを書いているこのブログは

ほぼ独り言のような場所で、発見を定着させるメモなので、

見る人に全然やさしい仕様になってないのですが…(書いたからには出す)

 

こんな読む人にやさしくないブログをわざわざ最後まで読んでくれてありがとう!!!な気持ち。